ドイッチュラント (客船・3代)
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船歴 | |
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船籍 | ドイツ |
母港 | ハンブルク |
所有 | ハンブルク・アメリカ・ライン |
航路 | ハンブルク - ニューヨーク間 |
発注 | 1921年 |
建造 | Blohm & Voss、Kommandit Ges auf Aktien |
進水 | 1923年4月28日 |
竣工 | 1923年12月 |
就航 | 1924年3月27日 |
その後 | 1945年5月3日に撃沈 |
性能諸元 | |
総トン数 | 21,046トン |
全長 | 645フィート |
全幅 | 72.25フィート |
全高 | 41.9フィート |
機関 | 蒸気タービン8つ、スクリュー2軸 |
速力 | 20ノット |
定員 | 乗客976名、乗務員422名 |
ドイッチュラント(SS Deutschland)[1]は、ハンブルク・アメリカ・ラインの所有していた客船。1945年に撃沈された。
概要
[編集]ドイッチュラントはアルベルト・バリーン級4姉妹の2番船としてブローム・ウント・フォス社で建造され、1923年4月28日に進水、同年12月に竣工し、1924年3月27日にサウサンプトン - ニューヨーク間の処女航海を行った。ところが、ドイッチュラントの動力機関は振動が激しかったため、「カクテルシェイカー」というあだ名をつけられた。1929年の改装でエンジンを交換したものの、速力が19ノットに低下した。
1940年、ドイッチュラントはグディニャで抑留され、1945年から7回、バルト海での航海に使われた。その期間で、ドイッチュラントは70,000名の兵士と多量の弾薬を輸送した。同年4月、ドイッチュラントは病院船に転用され、白色と赤十字の塗装となった。
1945年5月3日、ドイッチュラントはリューベック湾でイギリス軍機の空襲に遭い、客船カップ・アルコナ、ティールベクと共に転覆、沈没した。
1948年、ドイッチュラントは残骸の一部が引き上げられ、解体された。
関連項目
[編集]出典
[編集]- Roy Nesbit - Cap Arcona: atrocity or accident? - Aeroplane Monthly, June 1984.
- Williams, David, Wartime Disasters at Sea, Patrick Stephens Ltd., Nr Yeovil, Somerset, UK, 1997, pp.236-37.
- 海人社『世界の艦船』2012年8月号 No.764
脚注
[編集]- ^ この船は、他の客船と区別するためにドイッチュラント4号と呼ばれることがある。